戦国時代で有名な人達

【徳川家康】ざっくり簡単!じっと我慢!辛抱の末のまるごと天下総取り!

ざっくり簡単に分かる!

徳川家康とくがわいえやす1543年~1616年

徳川家康物語☆

子供の頃に人質に取られて悲劇のヒロイン…なんて嘆いてばかりいられない!今は我慢でもいつか絶対てっぺん取ってやるby takechiyo☆

ざっくり「徳川家康」の生涯!

悲劇のヒロイン?「竹千代」くん☆

家康の幼い頃は竹千代たけちよと言う名前でした。

当時勢力の強かった織田信秀おだのぶひで(信長の父)と、信秀と敵対していた今川義元いまがわよしもととの間の国に竹千代の父、松平広忠まつだいらひろただの領地(三河みかわ)がありました。

信秀が攻めて来た時、今川義元にヘルプを出すと「じゃあその変わり君の息子の竹千代を人質に頂戴☆」と言われ、当時6歳だった竹千代は今川義元の元へ人質として行く予定だったのですが…なんと護送役の戸田宗光が織田信秀に大金で竹千代を売っちゃったのです!(※大体今の金額で1億5000万!)

と、いうことで竹千代は信秀の元へ。

竹千代を手に入れた信秀は竹千代の父の松平広忠に脅しをかけますが「息子を殺さんと欲せば即ち殺せ、吾一子の故を以て信を隣国に失はんや」(殺すなら殺せ!それで隣国の信用を失わないで済むらなええわ!)と言い切り、信秀に「ふーん、見込みある奴じゃん?」と思われ、竹千代はしばらく織田の元で過ごすことになるのです。

その後、信秀の長男(信広)をゲットした義元から「竹千代と交換でいいよ」と提案され、一度「信広⇔竹千代」とトレードをするのですが、その後今川義元は織田信長に倒され、竹千代は19歳の時に自分のいた岡崎城へ戻って名前も「家康」と変え、どんどん伸びていくのでした!

 

我慢続きからの、一人勝ち!

竹千代として振り回させていた家康ですが、その後自立出来るようになってからは信長と同盟を組んで、共に敵に立ち向かっていくようになります。(姉川あねがわの戦いや、長篠ながしのの戦い)

そうこうしてると信長は明智光秀あけちみつひでに裏切られ本能寺ほんのうじの変」で自害。そしてその明智を秀吉が倒し、秀吉が天下人となってしまいます。

そして秀吉は天下を取った後、その地位を揺るぎないものにしようと色んな決まり事を作り。徳川家康をはじめ、権力を持った武将たちから攻撃されないようにそれぞれに五大老」ごたいろうという役職を与えるのでした。

↓天下を保つために秀吉がやったことって?

けど秀吉が亡くなった後、残されたのは秀吉の息子の「秀頼ひでより」だけ…。ここで家康、待ってました!と言わんばかりに他の五大老仲間達から勝手に一人だけ秀吉が作ったルールを無視して行動し、天下を奪いに行きます。

家康だけ勝手にそんなことさせるかー!と他の武将達も立ち上がって東西に分かれて戦った(関ケ原せきがはらの戦い)のですが、その戦いで家康は勝利!

最初は強い国に翻弄されるだけの幼子だった竹千代は、いつか転機は訪れる!とずっと機会を伺い、最後の最後に秀吉が亡くなった後にポロっと天下を取っていったのでした。

『怒りは敵と思え』という家康の有名な言葉があります。

「腹を立ててブチ切れて良かった~って思うことって少ないし、我慢しておいた方が成功の道だよね☆」

と言う、未来を思って今をないがしろにしちゃ勿体ない!という現代を生きる自分達にも響く言葉ですよね。今は我慢我慢!

徳川家康の有名な出来事!

天下は誰のモノ?関ケ原で決めようぜ☆

天下を取ってその地位を確かなものに発展させた秀吉でしたが、さすがに死んでしまった後のことはどうにも出来ません。

下に押さえつけていた権力者たちの中でも徳川家康は、「秀吉死んだし、次、天下取らせてもらいまーす!☆」と、同じように秀吉の作ったルールの中でヤキモキしていた権力者たちからイチ抜けしてワンマンプレーに突っ走っていきます。

そんな勝手なマネは許さねぇ!と他の権力者たちも立ち上がり。

1600年に、歴史上超大規模大戦!

関ケ原せきがはらの戦い』が始まるのでした!

【東】徳川家康軍(大体7万の兵)VS【西】石田光成いしだみつなり(大体8万の兵

と、東西に分かれて沢山の武将を引き連れての戦いが始まります。

徳川軍には黒田長政や池田輝政など…etc…(めっちゃいっぱい)

石田軍に宇喜多秀家や島津義弘やら…etc…(めっちゃいっぱい)

実は戦いに参加するわけでもなく、「どうなるのかな~」と様子を伺ってるだけの武将達もいたそうです。

しかし最終的には、石田軍にいた小早川秀明こばやかわひであきの裏切りによって徳川軍が勝利を治めることになり、見事徳川家康は天下人になるのでした。

いちゃもん過ぎるぜ家康さん!

徳川家康は関ケ原の戦いを終え、天下は見事に家康のものになりますが、秀吉の息子の秀頼がまだ生きているので、豊臣まだいるのってなんだか邪魔だな…と思っておりました。

そんなある時、豊臣家による京都の方広寺ほうこうじの大仏の開眼供養(お披露目的なもの)が行われようとしていた時、そのお寺の鐘に刻まれた文字。

国家安康こっかあんこう』『君臣豊楽くんしんほうらく

を見た家康が

『国「家康」の名前を引き裂いた!

君臣豊楽』「豊臣を君主」とするって言ってる!

といういちゃもんをつけてきて、豊臣家を滅ぼそうと大坂おおさかじん(大坂冬の陣)(大坂夏の陣)』という戦いをけしかけ、秀頼と淀殿よどどの(秀吉の妻)は自害しちゃってとうとう豊臣家は滅亡してしまうのでした。

その後は徳川家康の時代となり、江戸に幕府を置いて(東京の始まりだよ)江戸城も作って、1867年に最後の将軍、15代目徳川慶喜とくがわよしのぶ大政奉還たいせいほうかんをするまでの約270年間、ずっと将軍が住んでたんだって。

プチ情報コーナー!

徳川の血を繋げ!スペアを量産!

忙しい戦国乱世を抜けて、徳川家康が天下を取った後はそれなりにのほほんと平和な時代、「江戸時代」が270年近く続いていきますが、流石に家康も人間なので死にます!けど徳川家を存続させる為に後継ぎを作っていくのですが、皆がみんな健康に生まれてくる訳ではありません。

15代まで続いた徳川家でしたが、実はそこに至るまでに色んな形で「徳川の血縁」は繋がれていっているのです!

7代目の徳川家継とくがわいえつぐは4歳で将軍職について、なんと8歳で亡くなってしまいます。さすがに8歳では後継ぎは出来ないので「こんな時の為に!」と、スペアで用意していた徳川の血縁御三家ごさんけから次の徳川将軍を選び、8代目は徳川吉宗とくがわよしむねとして将軍を受け継ぐことになります。

その後も色んな形で徳川の血は繋がっていくのですが、やはりずっと「徳川」を繋げていくことが最優先だったんですね。

神と化した家康⁉

家康は死んだ後、家康の遺言の通りに現在の静岡市にある久能山くのうざんに葬られます。その後、栃木県の日光に祀られて、なんと朝廷から東照大権現とうしょうだんごんげんという神様の名前を与えられることになります。

すると徳川の3代将軍「家光」は、そんな初代家康を尊敬して現在の日光東照宮の「陽明門ようめいもん」のように、とても豪華絢爛な門を作ったんだって!

※日光東照宮には有名な「見ざる聞かざる言わざる」の3猿や「眠り猫」などの彫刻があるよ!

因みに家康を神として祀っている形をスピリチュアルで体験したエピソードを描いたエッセイ漫画がコチラ!(視える人がお寺や神社に行くとナニが見えるの⁉)

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ABOUT ME
たまお
学生の頃はテストの為としか思っていなかったので大の苦手だった歴史でしたが、壮大な人間ドラマだと思うと知るのが楽しくなりました!歴史に興味を抱く入り口くらいになってくれれば嬉しいな、と思うので細かい所は気にしないでくださいね(笑) ※記事で使用されているイラストは公教育機関(学校)や塾施設での使用を全面的に許可しております。それ以外の個人での使用や無断転載等は固く禁止しております。