ざっくり簡単に分かる!
『豊臣秀吉』1537年~1598年
懐で温めた信長様の草履で心をぶち抜け☆信長様の為ならどこへでも走ったけど、ちょっと目を離した隙にあんなことになるなんて…ー
目次
ざっくり「豊臣秀吉」の生涯!
猿と呼ばれて?大出世!
元々身分が低かった秀吉は足軽よりも低い「小者」という身分で18歳の頃に信長の元に仕えていました。そこで有名なのが寒い日に信長の草履を懐で温めておいた行為が信長を大変喜ばした!というもの。
そして当時の超ブラック企業だった織田信長という上司からの皆が嫌がるような仕事も積極的にこなしていき、だんだんと信長のお気に入りの部下へと昇進していきます。
因みに秀吉は名前がどんどん変わっていったことでも有名で
「日吉丸」(幼少期)→「藤吉郎」→「木下藤吉郎」→「羽柴秀吉」→「豊臣秀吉」
と、出世と共に名前が変わっていきました。
※「羽柴」という姓は、尊敬していた「丹羽長秀」と「柴田勝家」の名前の一部から取ったと言われ、天下統一後天皇に貰ったのが「豊臣」の姓でした。
有名なのが信長に「猿」と呼ばれていたという逸話ですが、実はそんな史実はどこにもなく、ねね(秀吉の奥さん)に送った手紙に秀吉のことを「ハゲネズミ」と書き記していたくらいだそうです。
信長亡き後の天下人へ…
順調に出世しいった秀吉、信長もどんどんと勢力を広げ秀吉は「毛利氏」の勢力が強い中国地方へ信長の命令で攻めに行きますが、これがどうにも手こずって信長にヘルプを出し、信長はそれに応える為に秀吉の元へ向かう途中で…あの本能寺に宿泊してしまいます。
するとその明け方、共に秀吉の援軍として中国攻めへと向かっていたはずの明智光秀が「敵は本能寺にあり!」と本能寺を攻め、信長は自害してしまいます。
それを知った秀吉はすぐさま帰って明智を倒し(山崎の戦い)、織田内部のライバルたちにも勝って秀吉は信長の後継者となり、とうとう天下を統一してしまうのでした!
豊臣秀吉の有名な出来事!
権力示したい!大坂城と聚楽第
天下統一後、秀吉は信長が11年かけてようやく攻め落とした「石山本願寺」があった場所に自分の城として「大坂城」を建てます。(信長があれだけ手こずるような戦に有利な立地だったからね☆)
そして秀吉がさらに作ったとんでもなく豪華なお城が『聚楽第』という巨大な屋敷!
元々身分の低かった秀吉はとにかく自分は凄い奴なんだ!と周りにアピールしたい気持ちが大きかったようで、大坂城だけに留まらず豪華絢爛な大城郭となる「聚楽第」(高い天守に広い土地には諸大名の屋敷まで作ったり)を作って、そこに天皇を招いて饗宴を開いたりと、天皇に対しても「自分は凄いから!」とアピールしたんだって。
※因みに「聚楽」とは秀吉の造語で「悦楽と歓喜の集合」って意味だとか。
国を整えよう!
天下統一したから後はゆったり生活しよう…と言う訳ではなく。秀吉は自分がてっぺんに居続ける為に色んな事を始めます。
惣無事令 |
大名の間で勝手に戦って領地の奪い合いしたらダメ! |
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刀狩令 | 農民は武装しちゃダメ!農耕だけしてればいいから刀没収! |
五大老・五奉行 | 権力ある大名達を自分の元でしっかり管理しとこ! |
太閤検地 | 納める税をはっきりさせるために土地の測量ピッチリします! |
キリスト教禁止 | 信長さんが許してもわしは許さんぞ!追放じゃ! |
と、色々な政策を出して、土地や人々を直接支配するようなりました。
プチ情報コーナー!
長男「鶴松」の大祈祷
秀吉と淀殿(秀吉の奥さん)との間に「鶴松」という男の子が生まれましたが、どうにも病弱で何度も病を発症することになります。
秀吉は初めての自分の子の誕生を激しく喜び、4か月くらいでもう後継者にしようと考え大阪城に迎えたり、権力の象徴の聚楽第にも連れて行きましたが、しばらくして病が発症。
春日神社に供物が送られ回復の祈祷をし、回復したと思ったらまたしばらくして病を発症、秀吉は全国の神社仏閣に祈祷を命じ、しばらくして回復!
が、また鶴松は病を発症し、再び全国の神社仏閣で祈祷し春日神社にはさらなる供物を送りその後の報酬も約束、様々な神仏にすがって家臣や民にまで祈らせ全国から名医を呼び寄せた…。
が、その甲斐なく鶴松は3歳で亡くなってしまうのでした。
秀吉の落ち込みようは、それはそれは激しかった。
※心を癒す為に訪れた有馬温泉でもやっぱり落ち込んでた秀吉。
聚楽第をブッ壊せ☆
鶴松が亡くなり、後継ぎがいなくなった秀吉は甥っ子の「秀次」を後継者にし、関白の地位も聚楽第も譲っていたのですが、その後淀殿との間に「秀頼」という男の子が生まれると秀吉は手のひらを返したように秀次に切腹を命じて、後継人を秀頼に戻します。
そして自分が身分の低い者出身というコンプレックスから、権力を誇示する為に作った「聚楽第」も取り壊してしまうのです!
というのも、淀殿は織田信長の姪っ子(お市と長政の娘)だから、その血を引き継ぐ秀頼は立派な武士の血が流れている。と、コンプレックスの塊の象徴である聚楽第はいらない!と思っていたのかもしれません。