ざっくり簡単に分かる!
『土方歳三』1835年~1869年
新選組として戦い続けた6年間、亡き戦友たちの思いも背負って最終決戦の地、北へ向かい函館の五稜郭へ!
目次
ざっくり「土方歳三」の生涯!
10人兄弟の末っ子「バラガキ」の歳!
土方歳三は武蔵国多摩郡石田村(現:東京都日野市石田)に10人兄弟の末っ子として爆誕しました。しかし早くに両親を亡くした歳三を育ててくれたのは次男の喜六とそのお嫁さん”なか”でした。(長男の為次郎は失明していたので家督は継がなかったよ)
そんな歳三のわんぱくっぷりは、”近づくと傷がつく茨のようなガキ”と言うことで巷では「バラガキ」と呼ばれており、そんな歳は14で呉服屋へ奉公へ出ますが女性トラブルもあって戻り、その後は実家の秘伝の「石田散薬」を行商しつつ各地の剣術道場を回っておりました。
『石田散薬』
土方歳三が売っていた薬として有名なこの「石田散薬」ですが、実家近くの玉川の支流の浅側沿いに生えているミゾソバという植物を原材料に使って作られているそうで、骨折、打ち身、捻挫、筋肉痛、切り傷にも効果があると言われて使われていました。因みに服用方法は熱燗の日本酒で飲むそうです!
そして25歳になった歳三は親族のつてから「天然理心流」を使う道場に入門し、そこの4代目でもある近藤勇や門下生だった沖田総司と出会うのでした。
※因みに天然理心流の稽古には極太で重厚な木刀を使っていたので、真剣を扱う際にその重さに振り回されないトレーニングになっていたようです。
新選組、鬼の副長!
その後コチラ↓でも説明をしているように
↓幕末最後の侍!新選組をざっくり説明☆
土方、近藤、沖田は『幕府を守ってくれる腕に自信のある人急募!』のお知らせを聞いて「武士になれる!」と喜んで京都へと行き、色々ありつつもなんとか「新選組」と言う名前で幕府を守るグループとして活動することになります。
土方歳三は「鬼の副長」と呼ばれるだけあって、近藤をリーダーとしつつもしっかりとケジメをつけて規律に反する者たちをバッサバッサと粛清しておりました。しかし狭い組の中では色んな考えを持つ人たちが現れ、近藤さんとは思想が合わん!と出て行ってその後新選組側に暗殺されちゃう伊藤甲子太郎という人達もいたりしました。
最後まで戦う為、北へ!
新選組として頑張ってきたけれど、どうにももう幕府の力が弱まり新政府軍の力に押されていく旧幕府軍…。いやそれでも最後まで戦うんだ!と諦めない歳三ですが、戊辰戦争(旧幕府軍と新政府軍の戦い)が始まった頃にはもう新選組という形も散り散り…。
近藤や沖田とも死に別れになってしまった土方は、旧幕府軍にいた海軍中将の榎本武揚と共に仙台へ行き、先に蝦夷地を占領していた榎本と共に江戸幕府が作っていた五稜郭という火砲に強い作りの星型の城を拠点に新政府軍と戦うことに!
↓函館戦争のリアルを語るおススメの一冊!
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五稜郭の戦い(函館戦争)と呼ばれるこの地での戦いで、土方歳三は新政府軍に応戦する馬上で腹を銃で撃たれ、仲間が駆けつけた時には亡くなっていたそうです。
(※この時土方の遺体を引き取ったのは部下の小芝長之助という人でしたが、どこに埋葬したかは判明していません)
この時土方は35歳。近藤と同じ歳でこの世を去ったのでした。
土方歳三の有名な出来事!
こっちじゃなかった!
新選組の事件で有名なのが「池田屋事件」なのですが、何やら尊王攘夷派の志士達が潜伏して不穏な企みを立てていると聞き、退治にしに行こうとするのですがその場所が「池田屋」か「丹虎」(四国屋)のどちらからしいとのこと。
近藤・沖田グループは池田屋へ、土方グループは丹虎へ向かい、丹虎にいなかったのを見て「池田屋だった!!」と分かり、急いで池田屋に向かうのですがすぐには入らず、池田屋の周りを囲み、後からやって来た他の藩(会津藩や桑名藩)を入れず、この度の手柄をしっかりと新選組のものにしたそうです。
おかげで新選組の名は一気に巷に広まったそうです。さすが副長、しっかりしてます。
最後まで戦った侍
五稜郭の戦いで命を散らした土方歳三でしたが、その前に盟友の近藤勇と沖田総司は亡くなっています。
新選組と言う形が無くなりだした頃、一度新選組は「甲陽鎮部隊」という名前を与えられ、旧幕府軍から甲州の鎮撫を命じられましたが兵力も弱く、そこで近藤勇は新政府軍に囲まれ、偽名(大久保大和)を使い投降するも元新選組の近藤勇と身元が割れ、斬首されてしまいます。(享年35歳)
一方同じようにこの部隊に参加していた沖田だったが病状が良くなく、途中から千駄ヶ谷の植木屋に匿われて過ごしていたのですが近藤が斬首された2ヵ月後、近藤が亡くなった事を知らず、最後まで近藤の心配をしながら病死してしまうのでした。(所説あるが25歳で亡くなったと言われている)
且つての仲間達が一人、また一人といなくなっていく中、最後まで折れずに戦い抜いたその姿勢はカッコいいですよね。
プチ情報コーナー!
殴られた嘆きの松
函館へと渡った土方を海から援護しようと榎本が「開陽丸」という軍艦を運んでくるのですが、なんと暴風雨に合い座礁してしまいます。そして開陽丸が活躍を見せないまま沈んでいく様を見ながら榎本と土方は側にあった松の木を2人して叩きながら嘆いたそうです。
榎本に関しては建造から関わっていたのでかなり悔しかったことでしょう。
しかし松もそこにあったがばかりに双方から叩かれるとは…。
「燃えよ剣」で知る土方
「司馬遼太郎」の著書でも有名な新選組を描いた小説「燃えよ剣」は土方歳三を主人公として描かれていきます。なので新選組という形が終わった後も土方歳三の生涯を描くように物語は進んでいくのですが…やはり「燃えよ剣」で描かれる土方歳三はカッコいい!
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